
明智光秀が主君・織田信長を裏切って討ち取った、というのが教科書で習う歴史です。
光秀の動機については「怨恨説(恨んでいた)」「野望説(自分が天下を取りたかった)」
「黒幕説(朝廷や他の大名が操っていた)」など、現在でも様々な議論が交わされています。
しかし、数ある歴史ミステリーの中でも、もっともスケールが大きく、もっともロマンに溢れた「ある一つの説」が存在するのをご存知でしょうか?
それは、「本能寺の変は、織田信長・明智光秀・豊臣秀吉の3人が結託して行った自作自演(三者共謀説)だった」という驚愕の仮説です。
信長は死んでおらず海外へ渡り、光秀は悪役を被って姿を消した……。まるで映画のようなこの説について、今回はその根拠と魅力にたっぷりと迫ります!
1. なぜ「三者共謀」の自作自演が必要だったのか?

もし本能寺の変が計画されたものだったとしたら、なぜ彼らはそんな大芝居を打つ必要があったのでしょうか。
その理由は、織田信長の「視線の先」にありました。
当時の信長は、宣教師たちとの交流を通じて地球儀や世界地図を目にし、スペインやポルトガルといった大航海時代の「世界」を強烈に意識していました。
信長の野望は日本で収まらなかった
信長にとって、日本国内の統一はもはや「単なる通過点」に過ぎませんでした。
彼の本当の夢は、海を渡り、明(中国)やヨーロッパの世界へ飛び出していくことだったのではないか、というのです。
スムーズな政権交代のための「死」
しかし、天下人である信長が突然「俺は海外に行くから、あとはよろしく」と言っても、家臣たちは納得せず、
日本は再び戦国時代に逆戻りしてしまいます。
完璧なシナリオの構築
そこで、信長は自分が「死んだ」ことにして表舞台から姿を消し、最も信頼する部下たちに日本を任せるという、前代未聞の計画を立てたのです。
2. 三人の役割分担:「真の忠臣」は誰か?

この計画を実行するためには、信長一人では不可能です。彼の意図を完全に理解し、実行できる有能なキャストが必要でした。
それが、明智光秀と豊臣秀吉です。
キャスト表面上の歴史(定説)共謀説での本当の役割織田信長裏切られて非業の死を遂げた悲劇の主君。計画の立案者。自らの死を偽装し、海外進出を図る。明智光秀天下を狙い主君を殺した「裏切り者」。
信長を逃がすため、あえて永遠の悪名を被った真の忠臣。豊臣秀吉主君の仇を討ち、天下を勝ち取った英雄。
信長の後を引き継ぎ、日本をまとめる後継者。光秀は、真面目で誇り高い武将です。
だからこそ、信長から「俺のために、歴史上最悪の裏切り者を演じてくれ」と頼まれたとき、その身を切るような忠誠心から承諾したのだ……と考えると、非常にドラマチックですよね。
3. この説が腑に落ちる「3つの奇妙な謎」
実は、この「三者共謀説」を前提にして本能寺の変を振り返ると、歴史上の「不自然な点」がパズルの一つのように綺麗に当てはまるのです。
① 信長の遺体が絶対に見つからなかった
謎本能寺の変における最大の謎は、「信長の遺体が骨の欠片すら見つかっていないこと」です。光秀軍は必死に焼け跡を探しましたが、何も出ませんでした。共謀説に立てば、答えは簡単です。最初から信長はそこにいなかった(あるいは秘密の地下通路などから逃げていた)からです。本能寺への襲撃は、信長が南蛮船(西洋の船)に乗って日本を脱出するための「時間稼ぎのカモフラージュ」でした。
② 秀吉の「中国大返し」が早すぎる
謎主君の死を知った秀吉が、備中高松(岡山県)から京都までの約200kmを、数万の軍勢を引き連れてわずか数日で戻ってきた「中国大返し」。これはいくらなんでも「早すぎるし、準備が良すぎる」と昔から言われています。しかし、「あの日、本能寺で事件が起きる」というスケジュールを秀吉が事前に知っていたとしたらどうでしょう? 奇跡の大移動も、単なる「計画通りの行軍」だったことになります。
③ 光秀が何の準備もしていなかった
謎天下を取るために信長を討ったはずの光秀ですが、変の直後、他の武将たちに協力を呼びかけてもほとんど無視されています。あまりにも無計画で、根回しが足りません。これも、光秀の目的が「天下を取ること」ではなく、「信長を逃がし、秀吉が来るまでの間、自分が的(まと)になること」だったとすれば納得がいきます。彼は最初から、山崎の戦いで秀吉に負けるつもりだったのです。
4. その後、彼らはどこへ行ったのか?

見事に計画を成功させた彼ら。
その後の運命は次のように語り継がれます(妄想や伝説を含みます)。
海を渡った織田信長本能寺から脱出した信長は、親交のあった宣教師たちの助けを借りて南蛮船に乗り込み、日本を離れました。
行き先は明(中国)か、フィリピンか、あるいはヨーロッパのスペイン・ポルトガルだったとも言われています。
秀吉が後に無謀とも言える「朝鮮出兵(唐入り)」を行ったのも、実は「大陸に渡った信長との合流を目指していたから」という見方すら存在します。
隠れ生きた明智光秀
山崎の戦いで敗れた光秀は、落ち武者狩りに遭って竹槍で刺され死んだとされています。しかし、これも偽装でした。秀吉は「悪役」を全うした光秀を密かに逃がしたのです。
姿を消した光秀は出家し、僧侶「天海(てんかい)」と名乗って生き延びたという有名な伝説に繋がります。(※天海はのちに徳川家康の参謀として活躍し、日光東照宮の設計などに関わったとされる謎の多い高僧です)。
秀吉、そしてのちの家康も、裏で生きている「光秀(天海)」の存在を知っており、その知恵を借りていたのかもしれません。
まとめ:ロマンに溢れる歴史ミステリーの魅力
もちろん、この「信長・秀吉・光秀の三者共謀説」は、学術的な証拠があるわけではありません。
歴史小説や漫画、ゲームなどのエンターテインメントの世界で語られる「IF(もしも)」の物語です。
しかし、なぜこの説がこれほどまでに私たちの心を惹きつけるのでしょうか。それは、私たちが「あの天才3人が、ただの恨みや油断で殺し合いをしたと思いたくない」からかもしれません。
日本の歴史を大きく前に進めた織田信長、その知脳であった明智光秀、そしてすべてを形にした豊臣秀吉。
この3人の絆とスケールの大きさが、実は私たちの想像を遥かに超えるものだったとしたら……。
そう想像するだけで、歴史を学ぶワクワク感が何倍にも膨れ上がります。
「裏切り者」と「復讐者」の物語ではなく、「世界を見据えた3人の男たちの、命がけの大芝居」。
あなたは、この本能寺の変の壮大なミステリーを、どう思いますか?
その後、ヨーロッパに渡った、織田信長の運命はどうなったのか?
想像しただけで楽しくなりますね!
