今日で休職に入って3日目。
正直な自分の気持ちを、飾らずにここに書き残しておこうと思う。
「休日に飽きた」。
これが、今日の午前中、部屋の天井を眺めながら真っ先に頭に浮かんだ感情だ。
最初の1、2日目は、泥のように重い体を引きずりながら「とにかく休まなければ」という必死さがあった。しかし3日目ともなると、社会との繋がりを絶たれ、ぽつんと部屋に取り残されたような奇妙な感覚に陥る。あんなに会社に行くのが苦痛で、毎日逃げ出したいと思っていたはずなのに、いざ強制的に休みを与えられると、今度は無性に「働きたい」という思いがふつふつと湧き上がってくるのだから、人間の心というのは本当に天邪鬼で厄介だ。
一人で静かな部屋にいると、どうしても頭のベクトルが過去に向かってしまう。
先週の上司との決定的なトラブル。昨日は「あの上司が100%悪い、理不尽だ」という怒りや絶望感ばかりが支配していた。しかし、少しだけ心が落ち着いてきたからだろうか、今日はふと「俺の行動や伝え方にも、もしかしたら悪い部分、反省すべき点があったのではないか」という考えが頭をもたげてきた。もっと違う言い方があったのではないか、自分の配慮が足りなかったのではないか……。
答えの出ない反省会を脳内で延々と繰り返してしまう。何か作業をしていれば紛れるのに、今は休むことが仕事だ。「何もしない」ということが、これほどまでに難しく、精神的なエネルギーをジワジワと消耗させるものだとは想像もしていなかった。
医師からは「心身症」と明確な診断を下されている。
しかし情けないことに、私自身には「病気になった」という自覚が驚くほどないのだ。確かに夜はなかなか眠れないし、朝は胃が締め付けられるように痛む。けれど、熱が出ているわけでも、骨折して動けないわけでもない。昨日だって神社でお参りをして、ジムで2km走れたではないか。だからこそ「自分は本当は病気なんかじゃなくて、ただ仕事から逃げたいだけの甘えなんじゃないか?」という自己嫌悪の刃が、何度も自分自身に向かってくる。病識がないからこそ「早く働かなきゃ」と焦り、「何もしないこと」への罪悪感が雪だるま式に膨らんでしまうのだろう。
しかし、このまま部屋で一人、鬱々と反省会と自己嫌悪を繰り返していても、ただ心がすり減るだけだ。
どうせ休むなら、そして今すぐ仕事に戻るという選択肢がないのなら、落ち込むのはやめて「今できることをやろう」と思い立った。後ろばかり向いている思考を、少しだけ前(未来)に向けてみるリハビリだ。
仕事のタスクリストを開く代わりに、手帳を開いて「やりたいこと」のスケジュールを書いてみることにした。
まずは、近いうちに「美術館」に行こうと思う。
静謐な空間で、誰かの情熱が込められた美しい作品をただ無心で眺める時間を作りたい。色や形、芸術に触れることで、会社の常識やトラブルでガチガチに凝り固まった脳のシワを、少しでも伸ばせたらいいなと思う。
それから、「動物園」にも行こう。
動物たちがただ本能のままに、のんびりと日向ぼっこしたり、あくびをしたりしている姿を見たい。社会のルールや上司の顔色なんて一切気にしない彼らの姿をぼんやり眺めていれば、「人間社会の悩みなんてちっぽけなものだ」と、少しは笑い飛ばせるかもしれないから。
そして、何よりも今の私の大きなモチベーションになっているのが、休職期間(7月29日まで)が明けた直後、7月31日から8月5日までの日程で予定している「バンコク旅行」だ。
今日は、その旅行のスケジュールや航空券、ホテルの情報を改めて見直して確認した。南国のまとわりつくような熱気、スパイシーな屋台の匂い、日本とは全く違う喧騒と活気。あの場所に立っている自分を想像するだけで、不思議と胸の奥がワクワクと弾むのを感じた。トラブルが起きる前から計画していたこの旅行が、奇しくもこの療養期間のゴールにある、大きなご褒美のような存在になっている。
美術館、動物園、そしてバンコク。
手帳に楽しい予定を書き込んでいくと、不思議と「自分の行動が悪かったのかも」という泥沼のような自己嫌悪から、少しだけ抜け出すことができた気がする。
「働きたい」「休日に飽きた」と思う自分もいる。病気の自覚もまだ薄い。
でも、手帳の先の予定を眺めながら、ふと気がついた。
「今はもう少し、休みが必要な体なんだよね」
そう、頭では「元気だ」「働ける」と焦っていても、ふとした瞬間に襲ってくる不安や、過去を思い出して胸が苦しくなるこの感覚が、私の心と体がまだ悲鳴を上げていることを証明している。病気の自覚がなくても、まずは「今はしっかり休むことが必要な状態である」という事実を、そのまま受け入れるしかない。
明日は、今日立てた予定のどれかを実行するかもしれないし、やっぱり体が重くて一日中家でYouTubeを見ているかもしれない。でも、それでいい。今は自分を責めず、バンコクの青い空を想像しながら、少しずつ、少しずつ「休むこと」に慣れていこうと思う。
